しんどうまゆみ(新堂真弓)のオフィシャルブログです。

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【コラム】コトダマ


最近、歌詞を書かせて頂ける機会が増えて、今まで以上に言葉の持つ力について考えさせられたりします。
同じ文字を使った分野でも、コラムと歌詞とはまた難しい点が違ったりするように思うの。
「その違いは?」って言われると、ちょっと言葉が詰まってしまうんだけど・・・もし、あえて自分なりの「違い」を挙げるなら。
コラムは自分の言いたい事を読んでいる人に「伝える」もので、歌詞は伝えたい事を歌い手や聞き手に「想像させる」ものだと思っています。

歌詞は声に出した時の「音の響き」で人に与える印象が変わるっていうけど・・・。
それは濁点「"」がついているから汚い音とか、そういった一般的に言われている専門知識で言い表すことができるだけのことじゃなくって・・・なんて言えばいいのかな? 自分が伝えたい事や、その世界観に沿った言葉を声として発した時に、初めて感じることができる言葉の魔力?? みたいなものだと思います。

『コトダマ(言霊)』って、言葉には魂があるっていう意味なんだけど・・・私は、それはたしかにあると思うのです。

それは「言葉」っていうコミュニケーション手段を繰り返す中で、今まで人が築き上げてきた先入観で作りあげられたものかもしれないけど・・・。
でも、たしかに「言葉」には人を説得させる力があると思います。

たとえば、青空を表現するのも「澄んだ空」「透明な空」「すい込まれそうな青空」とか・・・色々と言い方はあると思うんだけど、それぞれ人に与える印象が変わってくると思うのです。
「澄んだ空」は雨上がりの空。「透明な空」は色に染まっていない・・・「これから染まる色」を予感させたり、「すい込まれそうな青空」は「透明な空」とは対照的に、どこまでも深く青い空を思い描いたり。
これは私の想像だけどね?w
でも、こういう風に言葉一つで違う印象を持たせることができる、このことを・・・私は言葉が持つ魔力『コトダマ』の力のせいだと思っています。

作詞をする度に、私は言葉の魔力に惹かれつつも、それに負けないような世界観を持った歌詞を作れるように試行錯誤してる感じ・・・強い力を持つ言葉は、それだけで自分が思い描いていた世界観を壊してしまう可能性があるから。
ちょっと極端な例だけど、バラード曲で恋に傷ついた女の子の心情を歌うとして・・・この時に「イヤイヤ」とか「ダメダメ」「はわわ」っていう言葉を使うのは、使い方を間違うとそれだけで哀愁漂う世界観を崩してしまう可能性があるんだよね。でも、決してその言葉が女の子の心情を全く組みとってないっていうわけじゃなくって・・・ベターかもしれないけど、ベストじゃない感じ?
これが言葉の魔力の罠。
いつも作詞をする時は、伝えたいことをどう表現しようか・・・私は言葉の持つ魔力と対決しています。

そうすると限られた言葉しか使えないんじゃないか? って思うかもしれないんだけど、そんなことは決っしてなくて。
「言葉」と「自分の思い描く世界」とを照らし合わせて、何度も何度も語り合って・・・お互いの気持ちが重なると、自然と使うべき言葉が見えてきたりします。
そして、そうやって書きあげた歌詞は、やっぱり私の想いや願いがめいっぱいこもった歌詞になっていて・・・その言葉の一つ一つが曲にのって声として発っせられた時、スッと入り込んだ風のように、みんなの心に歌の世界観を届けてくれるものだと信じています。

『コトダマ』

それは私の想像を遥かに越えた力を持って私をふりまわす、憎むべきライバルであり、共に歩むべきかけがえのない良きパートナーなのです。

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【創作小説】空に向かって


アスファルトから照り返す日の光が、肌に刺さる夏の日。

私はいつものように近所の公園のベンチに腰をかけ、小さく息を吐いた。
少し錆びついたそれは、腰を下ろすと小さな声を上げる。
ベンチを抱きしめるように覆いかぶさる木々が、涼やかに影をつくり、何本もの腕を振って小さな風を送ってくれる。
それが火照った身体の熱を優しく拭い取ってくれるのを感じながら、私は深く腰を落ち着けた。

どこかでラジオを聞いているのだろうか。ブラウン管を通した女性アナウンサーの無機質な声で、たんたんとニュースを読み上げる声が聞こえる。

何度も繰り返される日常の風景。

「由美ちゃん。」

私はブランコを漕ぐ娘に軽く手を振った。
由美は思い切りブランコを蹴ると、揺れるブランコを背にして私に向かって走ってくる。ポニーテールで高くまとめ上げた、長く伸ばした黒髪が背中で跳ねる。
軽く息を弾ませながら走ってくる娘の姿を「まぶしい」と思った。
「お母さん!」
由美は細い腕を、走ってきた勢いそのままに私の首に廻した。

「そろそろご飯だよ。」

私は彼女の少し汗ばんだ背中を、上下する胸の動きに合わせて軽く叩く。
少し落ち着いたのだろうか。由美は私の肩から顔を上げ「帰ろう。」と言うと、にかりと笑った。
私は小さな彼女の手をとると、自分もベンチから立ち上がろうと腰を浮かせた。
また暑い日の下に出るのかと思うと、それだけで腰が重く感じる。

「お母さん。」

「ん?」

私は垂れた前髪を上になぞると、娘の顔を見た。
由美は私のスカートの裾を軽く握り締めながら、その大きな黒い瞳で上を仰いでいる。上に何かあるのかと、由美の目線の先を探ったが何も見当たる物がない。

「どうしたの?」

由美の顔を覗き込む。

「ねえ、お母さん。どうして、空はこんなに青いの?」

握っているスカートの裾が強くにぎられた。

私はふと昔のことを思い出した。
母と一緒に歩いた畦道。その時もたしかこんな暑い夏の日だったと思う。

そうだ・・・・私も母に同じ質問をしたことがあったのだったっけ。
母はその時なんと言ったのか・・・。

輪郭もおぼろげな記憶の中で、淡く色づいた思い出が目の前に広がる。
思い出の中の空は、青く冴え渡り。何度も歩いた田舎道は土と草の匂いがした。

「空の色は、澄んだ心の色を表しているんだって、よく言われてるのよ。」

私はアルバムの写真を一枚一枚なぞるように、母が言った台詞を思い出す。

「だけど、本当は・・・。」

「本当は?」

由美は下から私の顔を覗き込み、次の言葉を待っている。
その瞳に太陽の光が差し込んで、黒い瞳は少し茶色がかって見えた。

「本当は・・・。」

母は私が同じ質問をした時、つないだ手をより一層強く握り返してくれたっけ。

「本当は、人が空に投げかけた言葉が、青い空の一部になるのよ。」

私は母に教えてもらったその言葉を、そのまま娘に伝えた。

「空に投げかけた言葉が?」

由美は自分に確認するように、小さく口の中で呟く。

「そう、投げかけた言葉。」

私は優しく娘の頭を撫でると、先ほど由美が見ていた先にある空を見上げた。

今も昔も変わらないなぁ・・・。

日差しを避けるように、軽く眉間に合わせて手で傘を作る。
由美は分かったのか、大きくうなずくと背伸びをするように大きく空を仰いだ。

「私、これからいっぱい、いっぱい貴方に話かけるよ。」

そう言うと、満足したように強く私の腕を引っ張った。

「お母さん、帰ろう。」

勢いにつられ、木陰から出ると、夏の光は思ったよりも優しかった。

娘はこれから先、今日のこの日を覚えているだろうか?

由美はスカートを掴んでいた手をほどくと、小走りに先を歩いていく。
明日、明後日。1年後、5年後・・・結婚して、自分が母になるその時まで。
そして、その子供が今日と同じ質問をした時。
私の言葉を思い出してくれるだろうか。

その時、今日の空は・・・。
その時の空は、いったいどんな色でこの子の瞳に写るのだろうか。

「お母さーん!」

大きく手を振る自分の娘に、私は軽く手を振った。

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【コラム】先生からの手紙


わたしには一人、恩師と言うべき先生がいる。
その人は別に演技関係での恩師というわけではない。ただ、今のわたしを形成するのに本当にお世話になった人なのだ。

先生と初めて出会ったのは、わたしが中学2年の冬。
当時わたしは勉強が嫌いで、高校も進学できるのか? と両親が本気で心配するほどの成績だった。
親が心配して「勉強しなさい」というたびに、わたしは反発して教科書すら開くことをしなくなっていた。

そんなわたしの進学を心配した両親は、わたしを予備校に通わせることを決意した。先生とはその予備校で知り合うこととなる。
親に言われて、何の気なしに受けた入塾テストでなんとかギリギリの成績で合格したわたしは、当然一番下のクラスに配置された。
恩師の先生はそのわたし達のクラス担当で、英語を専門として教えてくれた。

先生の名前は、ここではN・Sとイニシャルだけ記しておきたい。

初めて会ったN・S先生は当時のわたし達にとって、色んな意味でかなり衝撃的な人だった。
今までもっていた「先生」という概念をくつがえす容姿をしていたからだ。

腰まで伸ばした黒髪。きちんと引かれた赤い口紅。
歩く度に音をならす高いヒール。そして、いつも必ずシワの入らないスーツに身を包んでいた。

他の講師達が化粧気のない、パンツスタイルで教えている中で、まだ女性の化粧というのに免疫のなかったわたし達にはN・S先生はかなりインパクトがあった。

N・S先生は予備校で教えるのは初めてだったらしく、
わたしはそんな先生を「どうせ他の先生達と同じ。人のことをはなからバカにして、教える気なんてないんだから。」と思っていた。しかし、そんなわたしの考えはすぐに覆されることになる。

週3回の予備校通い。
アルファベットすらまともに書くことが出来るかどうか怪しい私たちに、先生は毎回テストを繰り返した。
市販の問題用紙をコピーしたものなら、きっとそこまで先生のことを信用することはなかっただろう。だが、N・S先生は毎回手作りのたった20問程度の小テストを作ってきてくれたのだ。
そして、回収されたテスト用紙を次の授業の時に返す。
返されたテスト用紙には、紙が一面真っ赤になってしまうくらいビッチリと解説が書かれていた。

最初にそのテスト用紙を受け取った時、わたしは目が点になったのを覚えている。今まで「バカに教えることはない」という大人の対応を受けてきたわたし達にとって、ここまで大人がしてくれるのは信じられないことだったのだ。

一人一人に分かりやすい言葉、そしてその子がどうして間違えたのかを先生なりに推測したのだろう・・・。
「○○という考え方で解いたと思うんだけど、ここでは■■の法則に当てはめる方法をとるんだよ。」と、一問一問に対して解説とコメントが書かれている。
そして、必ず用紙の右下端に「FIGHT!」と書いてあった。

そんな授業が続く中で、わたしは「N・S先生を信じていいのか?」「どうせ信じても裏切られたら、傷つくのは自分だぞ!」と、いつも期待と不安を覚えながらも、参考書を開く回数が日に日に増えていった。

最初こそ分からないことだらけで、何を聞けばいいのかも分からず、とりあえず参考書を持って先生のところまで聞きにいっていた。
しかし、それも途中からは参考書を開き「先生に聞きにいくために、分からない所がないかを探す」作業となっていた。

先生に褒められることが、すごく嬉しかった。
そして、少しづつ分からなかった事が分かるようになるのが本当に楽しかった。
たぶん、これはクラスのみんながそうだったと思う。

中学3年の夏には、わたし達のクラスの英語の成績は全クラスを合わせても1、2位を争う程の成績を誇っていた。
そんな夏の頃。わたし達のクラスの成績が著しく上がったのをみて、N・S先生が上のクラスを担当するという話が持ち上がった。

わたしは「捨てられる」と正直思った。
それと同時に「結局、大人はみんなそうなんだ。」とさえ思ってしまった。
いま考えると、ここに書かれている気持ち全てが、まるで子供じみた独占欲と我がままに満ちている。
だけど・・・当時のわたしにとっては、その気持ち一つ一つが大切なことだった。

しかし、そんな話が持ち上がってから何日たっても先生はわたし達の授業に、いつものように小テストを作ってくるのだ。
不思議に思ったわたし達は、何人かで他の先生の所まで聞きにいった。

なぜN・S先生に直接聞かなかったかというと、直接聞いてもし、そうだったら・・・・耐えられない。
だからN・S先生には聞けなかった。
そんなわたし達が向かったのは学年主任の所だった。
わたし達が詰め寄るのに対して、最初先生は苦虫をつぶしたような顔をした。
器用に眉間にしわを寄せ、唇の片端だけをクイっと上げる。

「ああ、あの話なぁ・・・。すっぱり断られたよ。」

わたしは一瞬、その言葉の意味を理解できなかった。

「わたしには、わたしの事を信じてくれる生徒がいます。だから、その子達を置いていくことは出来ませんだとよ。」

目頭が熱くなるのが分かった。
N・S先生はわたし達の事を分かって、信じてくれていたっ!!
学年主任の先生は大きな手でわたしの頭を軽くなでると、一言「うらやましいよ」と言った。

それからのわたしは、今までになかったほど勉強に打ち込んだ。
自分を信じてくれている人がいるという現実が、わたしの支えになった。
わたしの成績が伸びると、N・S先生が他の先生方や父兄から「すごい!」と賞賛されるのが嬉しかった。
おかげで高校も、進学校として有名だった高校に入学することが出来た。

高校に入り、その予備校も辞め、わたしは声優という道を選び、N・S先生と会う機会もなくなった。
だが、今でも先生とはたまに連絡を取りあっている。

N・S先生は今ニュージーランドで日本語を現地の学生達に教えている。日本と外国を結ぶ、とても素敵な仕事だと思う。

何年か前に先生が日本に戻ってきた時、お茶をしながら話した。

先生 「新堂さん達に出会って、わたしは教職であることを決意したのよ。」
わたし「わたしは先生に信じてもらえたおかげで、自分と人を信じることを教えてもらいました。」

当時は照れくさくて言えなかったことをやっと言えたと思った。
そう、先生との出会いがあって今のわたしがいる。
自分を応援してくれる人達を、自分の力を信じて頑張れば何でも出来るっていうことを教えてもらった。

わたし「先生。本当にありがとうございました。」

N・S先生は言葉を通して、人と人とのつながりを深めていく道を選んだ。
わたしは演技を通して、人と人とのつながりを深めていきたいと思い先生にそのことを伝えた。
先生は昔と変わらない優しい笑顔で「わたしはあなたの事を信じているわ。場所は遠いけど、いつもあなたの事を応援してる。頑張れっ!」と言ってくれた。

わたしの手元に遠い外国の切手の貼られた手紙が届くたび、やはりその手紙の右下端に今も「FIGHT!」と書いてあるのだ。

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【コラム】友人のさくら


子供の頃おてんばで、外で遊ぶことを日課にしていたわたしの、彼女は大の友人だった。わたしが物心ついた頃から側にいてくれた、すごく頭の良い犬だった。

そんな彼女が我が家に来て、10年と半年経った夏。さくらがフィラリアという、体内で蚊の卵が孵化してしまうという病気にかかってしまった。
最初にその症状に気づいたのは母だった。食事を与えてもまったく口をつけず、水ばかりを飲む彼女の様子に病院に連れて行きフィラリアだと分かった。
薬を処方してもらい、週に一度の通院生活。薬はハムなどに巻いて、だましだまし与え続けた。

さくらはわたしの手からでないと食事をしようとしなかったので、さくらに食事を与えるのはわたしの係となった。肉や犬用缶詰、その他もろもろ。さくらがおいしく食べれるであろうものを、少しずつ手に乗せさくらの口まで持っていく。わたしの手からのみ食べるという事実が、わたしには嬉しく思えた。
さくらが苦しい思いをしているというのに、自分が頼られているということだけに酔い、そうなってしまった現状を考えないなんて。
わたしはなんて嫌な人間なんだろう・・・・。

そんな生活が約3ヶ月間続いたのだろうか。

ある土曜日の昼頃。
わたしは最初、さくらの傍で図書館で借りていた本を読んでいたが、ふと母に言いつかっていた用事を思い出した。洗濯物を干すことを頼まれていたのだ。
本を読むことにも疲れてきた頃合いだったので、椅子から立ち上がり二階のベランダに行こうとした瞬間。いつもは鳴くなんてしないさくらが、立ち去ろうとするわたしの方を見ながらスンスン鼻を鳴らした。
わたしは「なんだろう?」と不思議に思いながら足を止めると、さくらも鼻を鳴らすのを止める。気のせいか、と思いまた立ち去ろうと背中を向けると、さくらはまた鼻を鳴らすのだ。
そんな事を4回程くり返して、わたしは結局鳴き続けるさくらを尻目に部屋を去った。

ベランダで洗濯物を手にした時。病状でめったに鳴くということがなかったさくらが、大きな声で鳴いた。
甲高い、少し鼻にかかったような・・・今までに聞いたことがないような、切ない鳴き声。
わたしはすぐに持っていた洗濯物をかごに放ると、一階にいるさくらの元まで急いだ。胸が不安でいっぱいになった。一つの単語が頭の中をよぎる。走ろうと思っても・・・なぜか足は行くのを拒むかのように重い。

一階にたどり着いたわたしは、小屋の前に横たわるさくらを見た。
さくらはわたしがなんど名前を呼んでも、もうその呼びかけに応えることはなかった。

両親が仕事から帰ってきてから、わたしは父と二人で裏山にさくらを埋めにいった。時間が経ち、フサフサだった毛は固くなっていた。

さくらを運ぶために、父と一緒に彼女の冷たい体を持ち上げる。
わたし達を心配させまいとしたのか・・・・今まで吐いていたのであろう、ハムの残骸や黄色い胃液が、彼女の体に隠れるようにお腹全体に広がっていた。自分が一番辛いのに、それでもわたし達に心配をかけまいと振舞っていた彼女の気持ちを考えると、涙が止まらなかった。

裏山で一番大きな木の下に、大きな穴を掘り彼女の体を寝かせた。
どうして、わたしは彼女の訴えを無視してしまったんだろう!
どうして、あと数分でもいい・・・彼女の傍にいてあげられなかったんだろう!
どうして、彼女の死期を見届けることが出来なかったんだろう!
どうして・・・・・。
わたしは泣きながら父と一緒に少しづつ、少しづつ彼女に土をかぶせた。

さくらがわたしに教えてくれたこと。

お互いがお互いを思いやる。その気持ちの大切さ。
そして、それはとても尊いものだということ・・・。

さくらへ。
本当にありがとう・・・・。

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【コラム】わたしは大の絵本好きです。


どのくらい好きかと言うと・・・。
誰かと本屋に行ってはぐれてしまった時、みんながみんな「絵本売場」に私を探しに来るくらい好きです。
って、どんなだよっ! って感じだよね。
私、ほんとうに絵本が好きで、絵本を立読みしてると・・・ついつい時間とかを忘れてしまうのですよ。なので家族とか友達とか、私が見当たらないと思うと「絵本売場」のコーナーに探しに来て、そこで必死に立読みしている私を発見するという・・・。


いつから絵本がこんなに好きになったのかは分からないけど・・・たぶん子供の頃よりも、確実に現在の方が絵本好き。
特に好きなのは、外国の絵本を翻訳して日本語に和訳して発売されている絵本。絵本というからには、やはり一ページ、一ページに描かれている挿絵も素敵なんだけど。それよりも、たった数ページの間で織り成されている物語の素晴らしさに、本当に心惹かれています。

子供の頃は、ただ絵本の挿絵がキレイだとしか認識していなかったように思える。
それに、絵本に書かれている「こんな事って素敵だよね!」っていう内容が、当時の私には分かっていなかったように思える。

それは、きっと自分の身近にある物すべてが真新しくて、素敵なことだから、それを与えられている事の「ありがたさ」とか「大切さ」「嬉しさ」とかが当たり前だったんだと思う。まだ子供だったんだなぁ~、いま、この時間を生きるのに一生懸命すぎたんだと思う。

でも、わたしもその頃に比べるとだいぶ大人になったと思うのね。
自分のことを嫌いになっちゃうくらい、汚い自分を見てしまったり、人を傷つけてしまうこともたくさんあった。キレイな物だけを見ては生きてこられなかったから・・・。
だから今、物とか気持ちとか・・・「キレイなモノ」に触れられることの大切さも、すごく分かっているつもり。

絵本は、「何に感動すればいいのか」「何を大切にすればいいのか」。
感覚が鈍く澱んでしまった私に、その気持ちを指し示してくれる礎だと思うのです。

キレイな絵。

「素敵な何か」をわたしと一緒に探してくれる主人公達。

そんな絵本がすごく大好きだから、これからもきっと絵本に夢を追い求めると思う。

わたしが絵本売場から卒業できるのは・・・・・。
きっと、まだまだ先の未来かもしれない。

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