しんどうまゆみ(新堂真弓)のオフィシャルブログです。

PREV | PAGE-SELECT |

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

関連タグ :

| スポンサー広告 | comments(-) | TOP↑

【コラム】厚焼き玉子ゴム風味!?


当時のわたしは「おかず」は好きだけど、「おかし」にはあまり興味を持っていなかった。
というのも、我が家における「おかし」という類の物は、オセンベイか母が焼いたクッキーと相場が決まっていたからだ。
母の愛情には大変申し訳ないのだが・・・わたしは「おかし」に飽きていた。

そんなわたしが何を思いついたのか、突如「洋菓子作り」に興味を持ってしまった。
理由は単純明快。当時のクラスの女子の中で、なぜか急に「おかし作り」なるものが流行したからだ。
毎日のようにクッキーやカップケーキ等を作っては持ち寄る女子達。女の子らしい、かつ「ちょっと大人」な感じが魅力だったのだと思う。
わたしもその波に乗り、今まで家の片隅にあり、開きもしなかった「簡単洋菓子入門」という洋菓子作り専門の本のホコリを払うことにしたのだった。

わたしが最初にチャレンジしようと思ったのは、ずはり『ロールケーキ』!
クッキー等、初心者向けな物から手をつければよかったのだが。「クッキー」だけは作りたくなかった。
毎日食卓に乗る手作りクッキーの甘い匂いに、正直「うぷっ。」という感じだったし、母がクッキーを焼くのを何度も手伝っていたので、クッキーなど「今さら」な感があったからだ。

『ロールケーキ』を作るには、まずスポンジを作らなくてはいけない。
わたしは本に書かれている材料を一つ一つ秤に乗せ、指示されているグラム毎に丁寧に分けていく。

作業はいたって簡単だった。
まず卵、砂糖、小麦粉等の指定された材料を、指定された分量混ぜ合わせ生地を作る。後は、あらかじめ温めておいたオーブンで指定された時間焼くだけ・・・・。
火のついたオーブンの中に混ぜ合わせたばかりの生地を入れると、わたしの興奮は最高潮まで達した。

『出来上がったロールケーキを、明日学校に持っていったら・・・きっとクラスの皆はビックリするぞぉ~っ!!』

生地はオーブンの熱に焼かれて、程よい狐色になり、きっと甘い匂いを立たせるに違いない。
そんなわたしの妄想に拍車をかけるように、オーブンの中から甘い、優しい匂いが立ち昇りわたしの鼻先をくすぐった。時計を見ると、あと5分少々で焼き上がることを教えていた。

チン!

オーブンから、乾いた甲高い音が鳴る。ケーキが焼きあがったのだ。
わたしは急ぐ気持ちを抑えつつ、期待に胸をときめかせながらオーブンを開けた。そこには狐色した、ふっくらと焼きあがったケーキがあった。

・・・・・・・はずだった。

「あれっ??」
焼きあがったケーキは、とうてい「ケーキ」とは呼べる代物じゃなかった。
ペッタンコに鉄板に「これでもか!」とばかりに張り付いた生地は、狐色を通り越して信号機の「黄信号」の色をしていた。
鉄板から取り外してみると、さらにその異様さに驚かされる。生地を流し入れた時よりも、確実に厚みの減ったケーキの高さは・・・なんと5㎜弱。しかも、その生地をどんなに折り曲げても、さながら「厚ゴム」のようにビニュ~ンと元の形状に戻るのだ。

意を決して口に運んでみたものの・・・その味たるや。まるで「砂糖を入れすぎた玉子焼き」そのもの。

しかも食感が「厚ゴム」。

さっそく夕飯時に家族に振舞ってみた。
もちろん(!?)満場一致で「まずい」と評されてしまった。誰も食べてくれないので、当時飼っていた柴犬の「さくら」に与えることにした。
いつも与えられた物は残さずに食す律儀な彼女のことだ・・・きっと喜んで食べてくれるに違いないっ!!
淡い期待を持ちつつ、彼女の鼻先までケーキを持っていく。
さくらは一、二度程鼻を近づけ匂いを確かめるとプイッと顔を背け、その後一度もそのケーキの残骸を見ようとすらしなかった。
「犬にすら無視された、わたしのケーキっていったい。」

その後、しばらくの間わたしは汚名返上とばかりに毎日ケーキを焼くことになるのだが・・・。

この話を誰にしても「そんなケーキ焼けるはずがない。」と一笑に伏せられてしまう。
「そう言うのなら!」とヤッケになって、わたしも例のケーキを作ろうと何度も試みた。しかし、どうしても「それ」を焼くことは出来なかった。
今では、どうやって焼いたのか?? 幻のケーキと化した「それ」が本当にあった事だったのか、それすら疑問に思えてくる。

なぜ、その時にレシピを残しておかなかったのか・・・今になってちょっとだけ後悔なのです。

関連タグ : コラム,

| コラム | comments:0 | TOP↑

【コラム】就寝前の儀式


これは『あののの。』(Sprit Speak)で声優デビューをした頃からの、わたしの日課。

それは「美少女ゲーム」をやること。

最初は演技の勉強にと、イベント等で知り合う方からもらったゲームをPlayしていたのだが・・・。
一つのゲームがやり終わる前に、次のゲーム、次の作品と発売され、またそれを頂き。
わたしは毎日コツコツと女の子を口説いて回るのだ。
長時間やると疲れてしまうので、一日30分~1時間程度の短い慣習。
一人の女の子を口説き落とした時の達成感は、何とも言えない満足感と安眠をわたしに与えてくれる。
まだまだゲームデビューしたてのわたしなので、狙った女の子とのエンディングが見れず、何日も歯がゆい思いをすることもしばし。
でも、どの作品のどのキャラクターも見事に素敵なキャラクター達ばかりで・・・。
いつもわたしは「このシナリオのココっていいなぁ~。」「こういう言い回しとか、感じ方があったのかぁ~。」とか、日々新鮮な発見に驚きを隠せない。
早くわたしも先輩達のように、みんなが「すごいなぁ~。」って思える演技が出来るようになりたいなぁ。
そんな気持ちを持って、毎日朝から演技の稽古に身を寄せるのだ。


・・・そして、今夜もまた「新鮮な発見」に一人ほくそ笑むのです。

関連タグ : コラム,

| コラム | comments:0 | TOP↑

【コラム】家族とわたし


わたしは自他ともに認める『家族博愛主義者』です。
こんな言葉があるのかどうかは別として・・・家族の絆が一番大切かな。

わたしの家族構成は公務員の父と母、そして兄が一人。
父は幼少期に色々あって家族という身寄りがない分、わたしとお兄ちゃんがケンカをするたびに「血縁者は大事にしろ!」となだめるような父親。
母はいつでも側にいてくれて・・・。
当時貧しくて、せっぱ詰まった家計のやりくりの中。必ず誕生日には大きなケーキを焼いて、友達を呼んでバースディパーティーを開いてくれた。
兄は一番身近にいる友達みたいな感じ。子供の頃はいっぱいケンカもしたけど、両親に言えない事でも相談できるし、たまに一緒にドライブしたりと、いまでは本当に仲がいい。

わたしがこんなに家族好きになれたのは、この3人がいてくれたから。
本当に、わたしが3人の家族になれたことに感謝と誇りを持っています。

わたしのデビュー作の『あののの。』(Spilit Speak)で演じた、遠山ココロという役がまさにそんな女の子だった。
家族思いな彼女が迎える人生の選択。それが「家族」を取るか、「大好きな人」を取るか? 
そのココロちゃんが言う台詞で「家族も大事、でも・・・・。」っていう台詞があるんだけど。読んでいて感情移入しすぎちゃって・・・演じていてすごく辛かったなぁ。

「家族」は自分という人間が創られるのに、なくてはならない存在。
「大好きな人達」は今現時点、そして未来の自分を創るのに必要不可欠な存在。

過去と未来・・・・どちらをとるのか。
何の問題もない人生を歩むことが出来れば、たぶん両方手に入れられるもの。だけど、もしもどちらか一方のみを選択しなくちゃいけないと言われたら?

これは、今もわたしの中で保留になったまま。

でも、いま確かに言えることは・・・・。
きっとそんな場面に自分が出くわしてしまったとしたら。

わたしは「自分自身」と「家族」、そして自分が好きになった「大好きな人達」を信じて、死にもの狂いに両方を選べる答えを見つけようとするだろうっていうこと。

「家族も大事、でも・・・・。」

ココロの台詞が、いつもわたしに「その答え」を促します。

関連タグ : コラム,

| コラム | comments:0 | TOP↑

【コラム】演技と私の関係


演技をするようになって、必ずといっていいほど聞かれる事がある。

「なぜ声優になろうと思ったんですか?」

最初にこれを聞かれたのはわたしの両親からだった。
声優になりたいことを伝えた時、父は眉間を押さえながら、母は涙を浮かべてわたしにこの質問をした。
その後は演技を教えて頂いた先生。役者仲間。雑誌等の取材。
わたしは最初「なぜ、この質問をするんだろう?」「この質問の答えでわたしの何が分かるんだろう??」と正直思っていた。

とあるオーディションでも同様の質問をされた。
わたし以外の人達は「○○のアニメを見て感動したから。」とか「声の仕事で人に感動を与えたいから。」と自分の考えを流暢に答えるなかで、
わたしはお決まりの「演技が好きだから、声優になりたいと思いました。」と答えていた。
その答えを聞くと、審査員の人達は分かったような、分からないような、腑に落ちない様子で、そのうちの一人が「がんばって下さい。」と言った。

いつも、なんでみんなはこの質問をするんだろう? と不思議に思いながらも、この質問に対する本当の自分の答えは何だろう?? と考えていた。
いつも「好き」「演じたい」という感情だけが先行してしまって、この感情を裏付ける「自分」を見失っていたから。
だけど最近、少しづつだが確実に、この答えの輪郭が見えてきたように思える。
わたしは「演技」を通して、「自分探しの旅」をしているのだと。
演技をしていて、最近わたしはこう思う。それは、どの役、どの台詞、どの年齢や性別の役柄であれ。演技をしようとしたら、その役や、その状況に近い自分の記憶を探し出し、それを表現しなくてはいけないということ。
その時に思った、本当の・・・素の自分の感情を見つけることだと。
飾らない、素の自分を人前に出すということは、それを受け入れてもらえなかった時、きっとすごく傷ついて落ち込むだろう。でも、素の自分が感じた事を表現していかなくては、その演技は結局のところ「作り物」になってしまうと思うから・・・。

わたしは、「演技者」であり続けたい。

だから、きっとこれからも「演技」を通して「本当の自分」を表現していこうとするだろう。
そして、きっといつかは。その素のわたしの演技にみんなが共感・感動してもらえるものだと信じている。

まだまだ、わたし自身「本当の自分」がなんなのか分からない。
今まで生きてきて、たくさんの出会いと別れの中で、自分が傷つかないように「誰でもない、もう一人の自分」を作ってしまったから。
だけど、わたしはあきらめたくはない。「本当の自分」を探し出して「よくやったね」と褒めてあげたいから。
今までわたしを支えてきてくれたみんなに・・・。そしてこれから出会うであろう、みんなに「これが新堂真弓です」って紹介したいから。
そのために、わたしはこれからも演技を続けていこうと思う。

「なぜ声優になろうと思ったんですか?」

今なら、答えられる。
「わたしは、『本当の自分』をみんなに見て欲しいから。だから声優になろうと思いました。」

関連タグ : コラム,

| コラム | comments:0 | TOP↑

PREV | PAGE-SELECT |