アスファルトから照り返す日の光が、肌に刺さる夏の日。
私はいつものように近所の公園のベンチに腰をかけ、小さく息を吐いた。
少し錆びついたそれは、腰を下ろすと小さな声を上げる。
ベンチを抱きしめるように覆いかぶさる木々が、涼やかに影をつくり、何本もの腕を振って小さな風を送ってくれる。
それが火照った身体の熱を優しく拭い取ってくれるのを感じながら、私は深く腰を落ち着けた。
どこかでラジオを聞いているのだろうか。ブラウン管を通した女性アナウンサーの無機質な声で、たんたんとニュースを読み上げる声が聞こえる。
何度も繰り返される日常の風景。
「由美ちゃん。」
私はブランコを漕ぐ娘に軽く手を振った。
由美は思い切りブランコを蹴ると、揺れるブランコを背にして私に向かって走ってくる。ポニーテールで高くまとめ上げた、長く伸ばした黒髪が背中で跳ねる。
軽く息を弾ませながら走ってくる娘の姿を「まぶしい」と思った。
「お母さん!」
由美は細い腕を、走ってきた勢いそのままに私の首に廻した。
「そろそろご飯だよ。」
私は彼女の少し汗ばんだ背中を、上下する胸の動きに合わせて軽く叩く。
少し落ち着いたのだろうか。由美は私の肩から顔を上げ「帰ろう。」と言うと、にかりと笑った。
私は小さな彼女の手をとると、自分もベンチから立ち上がろうと腰を浮かせた。
また暑い日の下に出るのかと思うと、それだけで腰が重く感じる。
「お母さん。」
「ん?」
私は垂れた前髪を上になぞると、娘の顔を見た。
由美は私のスカートの裾を軽く握り締めながら、その大きな黒い瞳で上を仰いでいる。上に何かあるのかと、由美の目線の先を探ったが何も見当たる物がない。
「どうしたの?」
由美の顔を覗き込む。
「ねえ、お母さん。どうして、空はこんなに青いの?」
握っているスカートの裾が強くにぎられた。
私はふと昔のことを思い出した。
母と一緒に歩いた畦道。その時もたしかこんな暑い夏の日だったと思う。
そうだ・・・・私も母に同じ質問をしたことがあったのだったっけ。
母はその時なんと言ったのか・・・。
輪郭もおぼろげな記憶の中で、淡く色づいた思い出が目の前に広がる。
思い出の中の空は、青く冴え渡り。何度も歩いた田舎道は土と草の匂いがした。
「空の色は、澄んだ心の色を表しているんだって、よく言われてるのよ。」
私はアルバムの写真を一枚一枚なぞるように、母が言った台詞を思い出す。
「だけど、本当は・・・。」
「本当は?」
由美は下から私の顔を覗き込み、次の言葉を待っている。
その瞳に太陽の光が差し込んで、黒い瞳は少し茶色がかって見えた。
「本当は・・・。」
母は私が同じ質問をした時、つないだ手をより一層強く握り返してくれたっけ。
「本当は、人が空に投げかけた言葉が、青い空の一部になるのよ。」
私は母に教えてもらったその言葉を、そのまま娘に伝えた。
「空に投げかけた言葉が?」
由美は自分に確認するように、小さく口の中で呟く。
「そう、投げかけた言葉。」
私は優しく娘の頭を撫でると、先ほど由美が見ていた先にある空を見上げた。
今も昔も変わらないなぁ・・・。
日差しを避けるように、軽く眉間に合わせて手で傘を作る。
由美は分かったのか、大きくうなずくと背伸びをするように大きく空を仰いだ。
「私、これからいっぱい、いっぱい貴方に話かけるよ。」
そう言うと、満足したように強く私の腕を引っ張った。
「お母さん、帰ろう。」
勢いにつられ、木陰から出ると、夏の光は思ったよりも優しかった。
娘はこれから先、今日のこの日を覚えているだろうか?
由美はスカートを掴んでいた手をほどくと、小走りに先を歩いていく。
明日、明後日。1年後、5年後・・・結婚して、自分が母になるその時まで。
そして、その子供が今日と同じ質問をした時。
私の言葉を思い出してくれるだろうか。
その時、今日の空は・・・。
その時の空は、いったいどんな色でこの子の瞳に写るのだろうか。
「お母さーん!」
大きく手を振る自分の娘に、私は軽く手を振った。
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